まえがき
子どもの本の世界をここころに思いえがくとき、かならず思いおよぶ大好きな歌がある。心の耳を澄ませば、子どもの本の森の奥から、きっと聴こえてくるだろう歌である。
きみは庭をもっていたんだ
そしてそれは魔法の庭で
庭には一本の木があって
それは魔法の木だったんだ
その木にはいくつも枝があった
それがみんな魔法の枝で
枝には小枝がついていた
それがまだ魔法の小枝なんだ
小枝には葉っぱがついていた
それが葉っぱでね
葉群れの中には一つの巣があった
それは魔法の鳥の巣でね
巣の中には卵があったけれど
それが魔法の卵だったんだ
その卵から小鳥が生まれた
それは魔法の小鳥でね
鳥にはもちろん羽があった
そしてそれは魔法の羽でね
その羽でベッドをつくると
それは魔法のベッドだったんだ
ベッドの前にはテーブルがある
それが魔法のテーブルでさ
上には一冊の本がのっていた
そしてそれは魔法の本でね
本の中には書かれていたんだ------
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この、何ともいえないような親しい感情を手わたされる歌は、古くからドイツに伝わる子どもの歌をあつめた「少年の魔法の笛」という有名な民謡集の一篇で、「魔法の庭」(山室静訳)という歌である。ただし、ここでは、この「魔法の庭」のもちぬしを「きみ」にあらため、とくに最後の一行は「きみ」がじぶんで自由に書き入れられるよう、意図して空けている。
もともとの歌には、もちろん最後の一行はちゃんと書かれているのだが、この歌の最後の一行は、この歌を読んで、それぞれが自由に書き入れるほうがずっと、歌の親しみにかなっていると、わたしには思われる。--「きみ」だったら、この「魔法の庭」という歌の最後の一行に、どんなふうに、どんな言葉を書き入れるだろうか。
河合隼雄さんだったら(河合さんは今日、「魔法の本」の、誰よりもすばらしい読み手である)、この「魔法の庭」という歌の最後の一行に、どんなふうに、どんな言葉を書き入れるだろうか。河合さんも、わたしも、たぶんまったくおなじ、そこから始まる一行を書き入れるだろう。
……それは魔法の本でね
本の中には書かれていたんだ------
ようこそ、子どもの本の森へ
子どもの本の森の奥へ、奥へ、そうして河合さんとわたしは、二人で入りこんでしまったのである。
長田 弘
《走入童书的森林》 前言
如果在心里设想一下童书中的世界,那儿一定有你能想到的特别喜欢的歌声。那是如果把心灵的耳朵清一清就一定能听得到的,从童书的森林深处传来的歌声。
你有一个小院子
那是魔法的院子
院里有一棵树木
那是魔法的树木
树上长着些枝桠
那是魔法的枝桠
枝上生出小树梢
那是魔法的树梢
梢上挂满了叶子
那是魔法的叶子
叶中藏了个鸟巢
那是魔法的鸟巢
巢里卧了颗鸟蛋
那是魔法的鸟蛋
蛋里生出小小鸟
那是魔法的小鸟
小鸟当然有羽毛
那是魔法的羽毛
羽毛用来做小床
那是魔法的小床
床前放着张桌子
那是魔法的桌子
桌上放了册书本
那是魔法的书本
书上写着呀——
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这首传递着莫名亲切感的歌谣叫《魔法的院子》(山室静译),出自一本著名的德国民谣集《魔法的书》。这本民谣集里收录着从古时流传下来的德国的童谣。在这首歌谣里,魔法院子的主人被改为了“你”,特别是最后一行,那是为了让“你”自由发挥而特意空下来的。
在最原始的歌谣里,这最后一行一定是给好好填好了的。但我们现在读这首歌谣,每个人都各自发挥自己的想象自由填写空白。在我看来,这样更贴合这它的亲切感。——如果是“你”,在这最后一行里,打算怎么写,写些什么呢?
如果是河合隼雄先生的话,在这最后一行里,打算怎么写,写些什么呢?
如果是我的话,在这最后一行里,又打算怎么写,写些什么呢?河合先生和我大概会不约而同在这里写上同样的内容。
……
那是魔法的书本
书上写着呀——
欢迎来到童书的森林
河合先生和我,我们两个人一起走入了童书森林的深处,再深处。
长田 弘
特别喜欢日语版的那首歌谣,而且译者是安房直子的老师山室静先生。分享一下,希望日语好的同志来翻译吧。头一次翻,我实在是觉得很多地方词不达意了。实在是抱歉啊。